『本当にやりたいことが見つからない』というのはウソだということですね。
みなさんはどう思われますか?
自分はもうアラフォーなのでやりたいことがいくつもあります。
でも、それだけでは生きていけないので働きます。
働いて、お金をたくさん稼がないと生活していけないからです。
実際は一生懸命働いてもそんなに稼げないし、それだけ働いていたら時間が無くなるのでやりたいことができません。
おそらく、そんな風にして多くのひとは死んでいくのでしょう。
だから、『本当はやりたいことがあるのにやらないだけ』なのですね。
本当はやってみちゃえばいいのに、『今の仕事はやめられない・・・』とか『お金が無いから・・・』という声が聞こえてきます。
なぜですか?
やりたいことがあるのにやれないのか、やらないのか、もう、どっちでもいいのかもしれません。
『本当にやりたいことが見つからない』というのはウソだという件
本題は、『本当にやりたいことが見つからない』というのはウソだという件でしたね。
だって、本当はやりたいことなんていっぱいあるはずなんです。
子供はやりたいことだらけです。
どうして、大人になってくると、やりたいことが無くなってしまうのでしょうか?
そもそも、やりたいことの定義が、子供と大人では違っているのではないでしょうか?
子供にとってのやりたいことは、別にお金が稼げるとか、人からうらやましがられるということは一切関係ありません。
そのとき、友達と遊びたければ、遊ぶし、寝たければ寝るし、食べたければ食べます。
絵を描きたければずっと書いてるし、『もう寝なさい』とか、『お風呂入っちゃいなさい』とか言われるから途中でやめるだけで、親や先生に止められなかったらずっとやってるでしょうね。
究極、赤ちゃんなんて、食べ物で遊びながら食べつつ、そのうち、寝ますよね。
ただ、大人はそうはいきません。
まず、お金を稼がなければ、家にも住めないし、食べ物も食べられません。
できれば、人から称賛されるような立派な仕事につかなければいけません。
マナーを守って食事しなければ、恥をかきます。
大人はどうやら生きていくためと他人の目を気にすることに、時間と労力を費やさなければいけないみたいですね。
そうなんです。
大人の言う自分探しとか、やりたいことっていうのは、純粋ではないんです。
やりたいことという一つの言葉の中に『人に変に思われない』とか『生活費が稼げる』という条件が付加されるんですね。
本当にやりたいことを考えるときに相反する条件(世間体や経済問題)を無意識に付加してしまっているんですね。
(これが一番大事な気付きポイントです。)
だから難しいんですね。
だから、いい大人が、『ユーチューバー』になりたいなぁ。なんて、言ったら周りは全力で否定するか、笑ってくるでしょう。
40歳のいい大人が『俺、宇宙飛行士になるわ。』なんて言ったら、だれも、本気にしませんし、頭がおかしくなったと思うでしょう。
そして、ほとんどの大人が、常識から外れるのが怖くて、常識的に生きようとしたまま、非常識なやりたいことをあきらめているのでしょう。
だって、本当にやりたいことって、だいたい利己的で、非常識なことなんじゃないですか?
あなたが本当は何をやりたいのか知りませんが、おそらく、常識的でお金がたくさん稼げることなら周りの人は応援してくれるでしょう。
そして承認欲求を満たされ、気を良くしたあなたは、すぐにその本当にやりたいことに取り掛かれることでしょう。
でも、現実はそうではないので、あなたは、本当にやりたいことができていないのです。
ミュージシャンになりたい。⇒売れるのは一握り。将来、結婚もできないし、才能無いから無理。
野球選手になりたい。⇒才能無いから無理。
お金持ちになりたい。⇒無理。
世界中を旅する冒険家になりたい。⇒お金ないから無理。先にお金持ちにならないと。
本当にやりたいことをあきらめる理由なんて、すぐに見つかるし、『あきらめ辞典』とか作ったら、国語辞典並みに厚くなりそうです。
本当にやりたいことではお金は稼げないし、人からも称賛されません。
でも、本当にやりたかったら、それでもやるんですよね。
将来的に儲かるとか、成功したら、称賛されるとか、そんなこともどうだっていいんです。本当は。
家族に苦労させるとか、恋人もできなくて、結婚できないとか。どうでもいいんじゃないですか?本当は。
本当にやりたいことをやるっていうのは、そういった、他のことに惑わされない必要があるんじゃないですかね。
ひとには嫌われるし、時には命を狙われるかもしれません。
だって、『世界から犯罪を無くしたい!!』とか言って、犯罪組織に立ち向かったらどうなりますか?
マークされて殺される可能性もありますよね。
そこまでいかなくても、やりたいことをやろうとすれば、間違いなく敵(アンチ)はできます。
そして、アンチの声を気にしていたら続けられません。
とくに、やりたいことをやろうとしたら、まず、一番身近な人間が敵(アンチ)になることも珍しくないでしょう。
実際は、身近な人に分かる前に、自分からあきらめてしまうことの方が多いのでしょうけどね。
自分以外の意見を気にしていたら、本当にやりたいことは見つかりません。
見つかっているのに見つかっていないフリをしているケースもあるし、無意識にその答えから遠ざかっているのかもしれません。
本当にやりたいことが、常識的で、周りの人が賛成してくれるて、お金が稼げて、経済的自由を確実に手に入れられるものであれば、だれも、悩みません。
子供の頃にやりたかったことをずっと続けていればいいだけだからです。
しかし、親や先生に言われることを全部無視して、好きなことだけやれる子供なんていません。
そうなってしまったら子供が困ると思って、親や先生や身近な人たちは『やりたくないこともやらなければいけないんだよ。』と教えます。
そうして子供の本当にやりたいことは、思考のどこか奥そこに追いやられていくのですね。
それも間違いではありませんが、その子が将来『本当にやりたいことが見つからない・・・』と嘆いている姿を親や先生は想像できているのでしょうか?
教育のありかたまで言及するつもりはありません。
でも、『本当にやりたいことが見つからない』という、大人は少なくありません。
この記事を読んで、少しでもあなたの気付きになっていただければ、幸いです。
本当にやりたいことが常識的で、身近な人も応援してくれて、経済的問題も取り除いてくれるものなら、あなたにとってこれは容易い問題です。
でも、おそらく、あなたの本当にやりたいことは、身近な人には反対され、社会的には称賛されず、2chでは叩かれ、経済的には破綻することでしょう。
できない理由も数えきれないほど出てきます。
最悪の場合、命を落とすことかもしれません。
だから、本当にやりたいことをやらない選択をしても、だれも責めません。
決めるのは、あなたです。
だけど、『やりたいことが見つからない』というウソをつくのはやめましょう。
正しくは『やりたいことはあるけど、やる覚悟がない負け犬だ。』と言いましょう。
それが、スタートラインです。
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