使命を探してはいけない
そもそも『使命』とか『人生の目的』ってやつを、職業のなかに見つけようとすること自体まちがっているのかもしれない。
かりに、『使命』っていうものがあるとしたら、現在、存在している職業とは限らないからだ。
むしろ、時代によって新しい職業や仕事が生まれてくることは必然だ。
ウイルス禍を装い、便乗する形で、現在の人間の意識と社会システムに何らかのパラダイムシフトを起こそうとしていることは明確である。
現代の資本主義や社会主義、共産主義、民主主義など、いろいろな社会システムも行き詰まりを呈している。
2020年現在、日本では急激なキャッシュレス化、テレワークなどの働き方の変化。
人々のコミュニケーションの在り方の再考。
言ってみれば、どれも5Gを利用し、人類を管理しやすくしようとしていることが明らかだ。
今回のウイルス禍で、一時的に困窮する人も多かっただろう。
それだけ、一つの職業や仕事、企業に頼ることの危険性を認識すると同時に、「お金の問題は、ある程度、国が補償してくれる。」ということが分かった出来事でもあった。
しかし、これは、働く意欲をそぐことにもつながりかねない。
昭和、平成と、ある意味では、お金があるかないかで人間性までも決定づけられいた時代だった。
しかし、情報の拡散が容易な時代では、youtuberなど、比較的、どんな身分の人間でも大金を稼げるチャンスが与えられた。
そういったイメージが、あらゆる場面で見受けられることにより、お金に対する価値基準が下がってくることは明らかだった。
お金を得ることの難しかった時代においては、苦労することが美徳とされてきた。
残酷な言い方をすれば、社会に価値を生み出さなくても、ある程度の賃金が補償された時代だった。
これからも、もちろんそういった人間は一定数存在するだろう。
でも、いままでと違うことは、それほど、多くの人間自体が必要なくなるということだ。
昭和のように、社会インフラを人力で作っていかなくてはいけない時代には、体さえ健康で、言われたことを真面目に忍耐強くできる人間が多く必要だった。
しかし、現在、そして、これからの未来においては、コンピューターと機械の一層のコンビネーションにより、そういった人間がいままでやってきた仕事は少なくなっていくだろう。
おそらく、働かなくても人間は生命を維持することだけは可能な時代がくる。
そういった中で、いままで、単純作業にリソースを使っていた人間のなかには、より、クリエイティブなことに取り組む人間が出てくると思う。
科学的な研究、医療の分野、エネルギー問題、食料問題、宇宙開発、素材開発、環境保護、などなど、
少数の天才とある程度の優秀な人間がいれば、人類はさらに上のステージに進んでいけるだろう。
その転換点がいま始まったのかもしれない。
凡庸な人間が不要だと言っているわけではない。
いつどのタイミングで、どのような人間が役立つかは誰にもわからないし、もちろん、腕力自慢の人間や、楽しく遊ぶことが得意な人間、さまざまな人間の在りようは欠かせない。
ただ、現在のように、やりたくない仕事を『生きていくため』に無理してやる人間は減ることだろう。
せっかくの命を輝かせることができる環境ができることを願う。
それぞれの人間が自分の特性に合わせた生き方ができる社会。
そして、その特性を生かした生き方が『使命』となり、才能を生かし、結果として人類のために、もっと言えば、宇宙全体の存在のために永続的に助力となることが望ましい。
そういう意味では、『使命』とは、後付けとなることが多い。
つまり、多くの人間は、なんとか『使命』と見つけようともがくが、ほとんどの場合、たどり着けないのかもしれない。
むしろ、逆説的だが、『使命』を求めることをやめないと、見つからないのではなかろうか?
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