完璧主義をやめるには?
完璧主義をやめるには、完璧という状態が存在しないことを、ケースごとに理解し、気持ちを整理していくしかない。
だれもが、完璧主義になろうと思ってなったわけじゃない。
でも気が付いたときには、ミスや失敗を極端に怖がるようになってた。
多くの人は、テストで100点を目指す。
最初から諦めている場合は別として。
『完璧』という言葉自体は、悪い意味ではない。
完璧主義になるには、完璧主義になる傾向があったからだ。
考え方かもしれないし、変えようのない性格かもしれない。
そもそも、あなたにとっては、その生き方のほうが自然なのかもしれない。
ただ、もともと能力が高く、人よりもなんでもできてしまった人は、完璧主義になりやすいのだろう。
人からの良い評価の心地よさを捨てられないからだ。
なぜ、完璧をめざすのか?
純粋に自分のためなのか?
それとも、他人からの評価のためなのか?
完璧主義に悩む場合、後者のほうが多いだろう。
突き詰めていくと、他人からの評価がいいほうが敵を作りにくく、生きていきやすいからだ。
当たり前のことだ。
でも、すべての人が高い評価をしてくれることはない。
自然界の法則におけば、むしろ、味方のほうが少ない場合がおおい。
動物や昆虫の群れのように、目的が共有できるものしか、本来は見方にはならない。
本来、生き物は食料を取り合い、メスを奪い合い、戦いの中で、優性な遺伝子を残してきた。
なるべく敵を作らないという戦略もあるだろうが、それこそ、完璧に味方だけを作ることは不可能だ。
必ず、敵は出現してくる。
それが、生きる者の宿命なのだろう。
だから、どんなことをしようとも、敵からの攻撃はあるのだ。
完璧に批判や攻撃を受けない人間などいないのだ。
しかし、完璧主義の人間はそのことを頭では理解しながら、気持ちが付いてこないのだ。
完璧主義の何がいけないのか?
そもそも完璧主義の何がいけないのだろう。
ひとつには、仕事や作品、商品などがいつまでも完成しないということだ。
こういった、ブログや記事などもそうで、あまりにも完璧なものを作ろうとすると、結局なにもできずに終わることが多い。
人からの批判を恐れたり、成果に結びつかないという理由で、なに一つ完成させられないパターンだ。
最近は見切り発車で、走りながら商品や製品、サービスをアップデートすることが多い。
当然、ユーザーのフィードバックもすぐに分かる。
そこには、当然、失敗や批判も飛び交うだろう。
完璧主義になってしまうと、人の批判や、社会的な評価ばかりが気になってしまう。
極端な話、一人でも自分を批判する人がいたら、その一人のことばかりが気になってしまい、その他大勢の賛同してくれる人を無視してしまう。
その一人を振り向かせることに労力や時間を割くことほど非効率的なことはない。
そのことが頭では分かっていても、気になってしまうのが人間なのかもしてない。
特に今の時代、ひとりでも仲間とでも、何かを始めるためのツールや情報は簡単に手に入る。
実は、何の障害の存在しない。
ただ、実行に移せないのは、失敗や批判や社会的評価を極端に恐れているからに過ぎない。
幼いころから能力が高く、まわりの人間たちに評価されてきた人間ほど、社会的評価を下げるような失敗や批判は避けたいものだろう。
完璧を目指して生きてきた人にとって、まわりの目は一番気にしなくてはいけない最重要事項だからだ。
場合によっては、自分の成功や幸せよりも、他人の評価を最優先しなければならないと本気で思っているからだ。
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