自分以外、自分を守り、いたわり、肯定してくれるものなどいない

環境のせいにするなとか、生まれは関係ないとか、頑張れば勉強の成績が上がるとか、全部でたらめだったのだ。

人生は生まれや遺伝で99.99%決まる。

どんなに知能が低くても愚直に勉強していれば、成績は上がるのか?

そんなことあるわけない。

人の知能は訓練することで多少はよくなるかもしれないが、もともと知能が高い人間との差を埋めることはできない。

むしろ、適性がないのに無理に努力するのは、限られた時間を無駄にすることにもなるし、人生をつらいものにしてしまう可能性が高い。

努力とは苦手なことや、やりたくもないことを無理して頑張ることだと思う。

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自己満足なら、気が済むまでやればいい。

でも、結果を求めることはしないほうがいい。

なぜなら、ほかにいくらでも適性のある人間はいて、勝つことはむずかしいからだ。

何よりも、自分がつらいと思うことを一生続けることは、幸せなのか?と言いたい。

自分は勉強で挫折した。

40歳になった今でも、自分を責めていた。

「どうして、あの時、もっと勉強を我慢して頑張れなかったのだろう?」と。

自分の努力不足?

忍耐力の無さ?

ゲームにはまりすぎたから?

運動不足?

今になって理解できたことがある。

それらの憶測はすべて間違いだったということだ。

すべては、環境と遺伝だったのだ。

まったくもって、自分自身を責めるなんてナンセンスだった。

すべては、生まれた時から決まっていると言っていい。

努力できるということも、遺伝で決まったいたのだ。

記憶力や処理能力も遺伝に依存する。

また、家庭の環境もおおきい。

家族関係や、経済状況によっても大きく変わってくる。

環境のせいにするな?

いやいや、大いに関係しますよ。

だから、必死に高い授業料を払ってでも、子供を塾に通わせるんだろう。

しかし、それができなかったからと言って、親を責めるつもりもない。

なぜなら、その親も、それ以前の遺伝や環境によって在りようが決定付けられていたからだ。

誰も、悪くない。

自分自身が悪いわけでもないし、ましてや、その親、そのまた親が悪いわけでもない。

すべては、何世代も前から、積み重なってきたことの結果が、今の自分なのだ。

一世代でどうにかしようなんておこがましいにもほどがある。

容姿が悪かったり、背が低かったり、運動神経や知能、忍耐力にいたるまで、自分一人が背負うことなんてサラサラないのだ。

いままで、どれだけ、自分を責めてきただろう。

性格の悪い自分を改善しようとして、頭の悪い自分を改善しようとして、運動神経の悪い自分を改善しようとして。。。

40年間、自己否定を繰り返しながら、自分を改善しようと努めてきた。

でも、もういいだろう。

自分の世代での役割は十分果たした。

これ以上、自分の世代で自己否定を繰り返してもいいことはない。

もう、あるがままの自分を受け入れたほうが楽になれるし、そんなに変わらんだろう。

あるがままに生きて、今あるすべてを失うことになったとしても後悔はない。

十分やっただろう。

役割は果たした。

あとは、あるがままの自分で、残りの人生を楽しんでもバチはあたらんだろう。

むしろ、今世の自分は頑張りすぎるぐらい頑張った。

三世代分くらい頑張った。

よくやった。

人類の進化にも貢献した。

いつか、自分が繋いだ遺伝子が、遠い未来で、明るい人生を謳歌できることだろう。

それぐらい貢献した。

あとは、自分が、自分自身の功績を讃え、あるがままの自分をいたわることだ。

40年間、本当に頑張った。

求められるレベルに見合わない、能力と環境で、できる限りの努力をした。

精神障害を背負い、知的な障害を持ち、肉体的なハンディキャップを負いながら、劣悪な環境の中で、できうる限りの結果を残してきた。

それを成しえたのは、魂の神々しさだけだった。

魂だけには恵まれていたおかげで、なんとかやってこれた。

お疲れ様、俺の魂。

余生は、来世までの間、十分に英気を養ってくれ。

40年間、心も、体も、ずいぶん無理をさせてしまった。

魂も傷つけてしまったかもしれない。

いや、かなり、ムリをさせた。

もう、心にも体にも魂にも無理はさせない。

40年間、本当にありがとう。

本来は、もっといたわるべきだった。

本来は、もっと、自分のすべてをあるがまま受け入れるべきだった。

HSPがゆえに、まわりの言葉や、邪念を受け取りすぎてしまったのだ。

守ってやれなくてすまない。

これからは、誰が、否定してこようとも、俺だけは、あるがままの俺を信じて、肯定する。

体も、心も、魂も、俺だけは、肯定し続けて、守っていく。

40年間ずっと、傷つけ続けた分、絶対に守っていく。

自分を守って、肯定してあげられるのは、自分しかいないということを忘れない。

これから、どんな自分になろうとも、大きな失敗をしようとも、弱々しく、惨めになろうとも、俺は、そんな自分すらも肯定して守っていくだろう。

なぜなら、今まで十分に頑張ってきてくれたからだ。

ありがとう、俺。

残りの人生、必ず、守っていく。

もう、否定はしない。

何か不都合なことがあったとしても、お前だけのせいじゃない。

それは、否定すべきことではないし、もっと言えば、宇宙が誕生したことに責任は端を発する。

だから、お前ひとりの責任だなんてことは絶対にない。

そんなお前を作ったのは、宇宙の始まりから続く継続されたものだから。

ずっと、積み重なってきた遺伝子が、お前なワケだから。

そんな自分を信じることは、この世のすべてを信じることになる。

だから、どんな自分でも認めよう、それが、あるべき姿だから。

それが、最善だから。

そして、その思いを大切なひとにもむけよう。

すべては、ひとつだから。

そのスタート地点が、無条件に自分を愛し、肯定し、認めることなんだ。

何も足りなくない。

何も悪くない。

自分自身を信じ、認めていくのは、自分自身しかありえないということを。

どんな自分でもそのまま受け入れる。

何も足りなくないのだから。

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