1万字を書いてみようということで始めて見ましたが、1万字を書くというのはかなり大変なことです。
今こうして適当に喋っていても100文字喋るのにもかなりの時間がかかります。まして、ただいま音声入力で記入していますが、発音をしっかりしないと誤字や脱字などが多くなり逆に時間がかかってしまいます。
今ここまでで140文字です。なぜこんなにも文字数にこだわるかと言うと、最近読んだブログの中で1万字を超えることがSEO対策において、ひとつの目安になるという記事を読んだからです。
あなたはブログを始めたときに、だいたいどれぐらいの記事の文字数が目安だと認識しましたか?私はだいたい2千字から3千字が一つの記事の目安だと認識していました。
しかしどうやらそれでは少ないようです。
どうして1万字も書かなきゃいけないの?
もし Google の検索でトップに躍り出ようとしたら、最低でも1万字は必要だということが分かってきました。
いろいろ構成を考えたり、文章の運びとかを考えながら書いていたら、とても1日一万なんて記事は書けません。思ったことをどんどん書いていかないと時間ばかりが過ぎてしまい、1万字という目安には到底及ばないのです。
そうは言っても、ただがむしゃらに文字だけを増やしていけばいいというものがありません。
しかしまずはユーザーに知ってもらわない限り、どんなに良い記事を書いていたとしても燃えないゴミと一緒です。
まずは量を生み、そこから質を上げていかないといけないということがわかります。
最初のころは1日に2千字も書いたらもう大満足でした。
どうしても最初の頃って自分の書いた文章が Web 上に乗るという緊張感からか、きちんとした文章を書かないといけないという気持ちの方が大きかったように思います。
こんなこと書いたら炎上してしまうんじゃないかとか、あまり社会的なことを書くと批判されてしまうんじゃないかとか、時事ネタを取り扱った方がアクセスが伸びるんじゃないかとか、 Web 上に自分の記事を載せるということに対してすごく高いハードルを設定していたような気がします。
しかしながら実際に記事を書いて投稿をしてみると、自分の記事を読んでくれる人もあまりの少なさに驚きます。
極端に言えば自分が書いた記事なんて誰でも読んでくれていなかったことに気付きます。
なんとなく数字が伸びたかと思えば、どこかの国のボットだったり、自分がアクセスした回数でした。
そうなんです。誰も見てないんです。
どうしたらユーザーに記事を読んでもらえるのか?
じゃあどうすれば自分の記事を読んでもらえるのかと考えたときに、まずは検索エンジンで上位に表示させることだと思いました。
Facebook や Twitter を使って、SNSからの流入を増やすこともとても良い考えだと思います。しかしながら一時的な訪問者が増えたところで持続的なアクセスは見込めません。
結局、持続的なアクセスを安定して出すためには検索エンジンからの流入が不可欠となります。
確かに検索エンジンからの流入を増やすためにはタイトル付けと内容の関連、そして読者にとってどんなメリットがあるかなどという様々な要因から検索順位が決まります。
それなのでポイントをおさえることが必要です。
しかしながら、現実はそう素直なものではありませんでした。
あなたが書いた記事は最初どのようにして、検索順位が決まるのでしょうか?
Google の担当者がひとつひとつ記事を評価しているのでしょうか?
いえ、違いますよね。
では、ユーザーの評価が反映されるのでしょうか?
これも、まだ先の話です。
そうです。検索エンジン。つまり、ロボットという名のプログラムです。
検索ボットに記事の内容の評価はできるのでしょうか?
答えは、NOです。
あとにも書きますが、コンピュータは人間的な評価はできません。
本当は記事の内容が良いか悪いかは、まずはユーザーに訪れてもらわなければ分からないのです。
いくら内容のおもしろい記事を1000から2000文字で書いたとしても、検索エンジンで上位に表示されなければユーザーの目に止まることはないのです。
あなたが書いた記事はまずはじめに Google の検索エンジンにインデックスされます。
この時点では読者がほぼゼロと言っても過言ではありません。つまり人間の目にはまだ増えていない状態です。
いくら人工知能が発達したからといって、文章に込められた思いや感情までは読み取ることができませんし、それどこのが短い文章の中に要点がまとめられているのかどうかの判断もおそらくできないでしょう。
記事の内容の良し悪しは人間がアクセスをして初めて評価されるのです。
まずは多くの人の目に触れることが大事になってくるのだと思います。
例えばこの記事がいいか悪いかは実は検索エンジンでは判断できません。
じゃあ何で判断するのかと言えば、タイトルと内容の一致しているキーワードの数やバランスだけでしょう。
少しでもプログラミングをかじったことがある人であれば、コンピューターの演算が決して万能ではないことが分かるはずです。
検索されたキーワードがタイトルの中に含まれているのか?そのキーワードはどれぐらいまんべんなく記事の中に含まれているか?
そして検索エンジンが記事のクオリティを判断する材料として、その記事がどれだけ多くの内容、つまり、文字データを含んでいるかということがあるのです。
現在のGoogle の検索エンジンの仕組みとして、文字数が多ければ多いほど専門的な記事の内容であると評価されるようになっています。
その記事が面白いとか感動するとかいう人間的な判断は、少なくとも今のコンピュータにはできません。
とりあえず検索エンジンは、これらの数字に変換できる判断材料をもとに記事の表示順位を決めているのです。
その中でユーザーが訪れた後に滞在している時間、つまり滞在時間や直帰率を計算して徐々に順位を上げたり下げたり調整していくのです。
実際に Google で働いたことがないのであくまで予想ですが、検索エンジン、コンピュータは機械的な判断しかできないことは間違いありません。
さらに検索エンジンが記事を判断するのには段階があるという仮説が立てられます。
まず最初に検索エンジンが機械的に記事を判断します。
この時にある程度の順位を決定づける材料は先にも述べたように、キーワードの一致とタイトルの先頭の方にそのキーワードが含まれているか?
記事の中にどれぐらいの割合でキーワードが適切に配置されているか?
そして、文字数です。
単純にコピペができなくなった現在、オリジナルの記事を生成するということはとても大変なことになっています。
筆者にもその物事に対するある程度の知識や経験、さらには文章力がなければ1万字を超えるような長文はそう簡単には書けません。
もっと言えば、精神的な成熟や基礎学力なども必要になっていきます。
そしてユーザーが読み進めやすいように、より分かりやすい言葉で書くことも必要でしょう。
こんな小難しい話を延々と書いている記事など、ユーザーは一見しただけで離脱してしまうかもしれません。
でもまずは検索エンジンに評価されるように記事の文字数を増やして、上位にインデックスされなければならないのです。
なぜなら、たとえ一瞬でもユーザーに見てもらえることに重きを置かなければ、最初のうちはただ Web 上に浮かぶだけのゴミ記事になってしまうからです。
まずは多くのユーザーに読んでもらえるために、とにかく上位にインデックスされなければなりません。
そのための方法は誰もが簡単に達成できるものであってはいけません。ある程度の労力と時間を使って達成できるものでなければ価値はないからです。
例えば今の段階で2500字程度。つまり1万字という目標の1/4しか達成できていません。
正直言いたいこともほとんどは書き切ってしまいました。ただここからさらにアイデアをひねり出して書いていくことに意味があるのだと思います。
人は一つの物事に対して意見を出し切ったとき、はじめて思考をより深く掘り下げていきます。なかなか普段はここまで思考を掘り下げることはありません。
ですから、ここから先の試行錯誤にお付き合いいただければ幸いです。
検索エンジンの本質
そもそも Google はどうして検索エンジンというものを開発したのでしょうか?
インターネット自体は1958年にアメリカ国防総省によって、高等研究計画局(ARDA アドバンスドリサーチプロジェクトエージェンシー)が設置されました。
さらに1967年国防総省高等研究計画局は、資金提供をして世界のパケット通信ネットワークである ARPANET(Advanced RESEARCH projects Agency Network)の研究プロジェクト発足します。現在のインターネットの始まりと言われるのがこれでした。
つまりインターネットの原型が発足してから現在まで、少なくとも50年が経過しています。
その間に各国の頭脳集団がインターネットの基幹となるシステムの開発に労力と時間を尽くしてきました。
そしてやっと今、一般市民がその恩恵を享受できる状態になったのです。
簡単に情報革命と言ってしまえばそれまでですが、この形が形成されるまでには約半世紀を費やし、さらに莫大な資金も投入されています。
ここでは書ききれない膨大な仕組みが続々と開発され、今でもその通信量や速度、セキュリティを上げるための研究が進められています。
正直これほどの情報革命がなくても、人間は生きていくには何一つ困らなかったのかもしれません。
しかし、資本主義の集大成とも言えるべき状況が作り出されたことには間違いありません。
それは今まで企業でしかを成し得なかったような大きなプロジェクトが個人でも簡単に作れるようになってきているからです。
インターネットができたことで、少なくともスタートアップが容易になったことは否定できません。
もちろん立ち上げたサービスが成功すれば、より大きな価値を提供するために企業として成長させる必要が出てきます。
そうなれば、一般の既存の企業と何の遜色もありません。
さらに個人でお金を稼ぐことも比較的簡単になりました。
間違いなく中小企業がインターネットを利用することによって業績を伸ばすといった事は起っています。
しかしインターネットの歴史を振り返ってみれば、インターネットの恩恵がビジネスに結びつくまでにはかなりの時間がかかっています。
YouTube でお金を稼ぐことができるようになったのがつい最近であるということからもわかるように、形のないもの、つまり情報だけでマネタイズしていくことの難しさが分かります。
しかしながらその情報が価値を持った時には莫大な資産を形成することができるでしょう。
ただこういったインターネット持っているが Web サービス全般における性質として、その情報提供に価値があるかないかは最初はだれにもわからないということです。
まずは無償でサービスを提供してからユーザーに判断してもらい、需要があればマネタイズしていくという方法はインターネットにまつわる多くの WEB サービスにおいて共通していることです。
あなたは「どうしてこんなにも多くのアプリゲームが無料で遊べるのか?」という疑問を持ったことはありませんか?
ご存知の通り、そのゲームにハマったコアなユーザーが課金することによって得られる収益が莫大なものになるからこそ、これだけ多くの企業が資金を投入していることになっているのです。
大量生産、大量消費の時代が終わりを迎えようとしている昨今、誰にでも共通した価値というのを生み出すことが難しくなってるのかもしれません。
興味や価値観が多様化している今、資本主義社会のビジネスにおいて、多くのユーザーに共通した一定の価値観を与えるサービスありません。
情報化社会において、情報も大量生産・大量消費が当たり前となっていて、誰もが同じ動画を見てたのしんだり、誰もが同じサイトを見て買い物をしたりして欲求を満たしたりしていました。
しかし、どんどんユーザーの欲求が高度なものになっていくと、より細分化された情報やサービスの提供が不可欠となってきます。
そのことは Google の広告一つを見ても必要性が分かるでしょう。
クッキーの情報を利用して一人一人のユーザーにあった報告を表示する技術は素晴らしいものです。なかなか簡単に ASP 業者も真似できない理由が分かります。
一瞬でクッキーから情報を取り出し、高速でコンピュータが演算して適切な広告を表示するためには、どれほどの高性能なコンピュータ設備が必要になるか分かりません。
最初からユーザーを絞り込んだサイトを制作するのであれば、こういったシステムは必要ないのかもしれません。
しかしこの記事のように、もともと収益を目的としたサイトでない場合は Google アドセンスのような仕組みが不可欠です。
Google の検索エンジンは常にユーザーの動向やサイトのクオリティを計算した上でさらにユーザーに適した広告を表示しています。
なんだか毎日何気なく開いている Web ページの裏側では想像もできないほどの演算がなされているのです。
しかしながら世界中で24時間、何億ものユーザーのリクエストをさばいているような高性能なコンピューターであっても、検索エンジンが人間のように記事の内容の優劣の判断をすることは不可能でしょう。
判断基準を単純化した上で、効率的なインデックス方法をとらなければリソースがいくらあっても足りません。
それがキーワード有無だったり、なるべく少ない情報で判断するためのタイトルだったり、記事の長さぐらいしか判断基準にできないでしょう。
もしあと何年かして量子コンピューターが開発されたのであれば、人間のように感情的に記事の良し悪しを判断できるシステムができるかもしれません。
しかし量子コンピューターは高性能ながらなかなかその開発にはまだまだ時間がかかりそうです。
世界中の天才たちを集めて研究を続けている姿は、まさに以前のインターネットのインフラを構築するまでの開発風景に類似しています。
つまりまだ今の段階では記事の内容の良し悪しをコンピューターが判定することは難しいのです。
コンピューターは曖昧な判断ができません。0か1、 TRUE or false、 黒か白か、システム自体が2進法で構築されている以上、それよりも深い思考は持ち得ないのです。
だからブログの記事を書くときも正確な文字数の基準はわかりませんが、仮に1万字を基準とするのであれば、絶対に少ないよりは多い方がいいと思います。
おそらく今のシステムだと1千字の記事よりは1万字の記事を上位に、1万字の記事よりは10万字の記事を上位にしていると思います。もちろん判断材料はそれだけではないと思いますが、大きな要因になっていると思います。
1万字書けば何かが変わる・・・かもしれない。
正直、1万字を超える記事を書くのは自分も初めてなので、この記事をアップした時にどのように判断されるかは見当もつきません。
さらにこの1記事だけでは結論は出ないのかもしれません。
だからなるべく頻度を上げて1万字以上の記事を量産していくことをしばらくは目標にしてこうと決めたのです。
そして1万字という記事を生産するために、あらゆる方法や仕組み工夫をしていく必要があるでしょう。
こういった経験も全て自分を力になっていることは間違いありません。
自分が成長できること結果を出せることというのは誰でも簡単に実行できるものではないのです。
実際人よりも成功したいと思ってた人よりもそのことに対して時間を費やしさらに高度な技術を用いて行かなければなりません。
誰もが簡単に実行できることには何の価値もないですし、誰も評価はしてくれません。
さらにこれだけ書いた自分にとっては相当な努力をした記事も何の価値も生まないかもしれません。
ただこの記事は何の価値も生み出せないかもしれませんが、毎日1万字というブログを書いていく中で得られるものは少なくないと思います。
自分の思考を整理できますし、書き続けているうちにユーザーにとっての利便性や重要なことも分かってくると思います。
今までは1000字から2000字で満足していました。
「これだけ毎日書いていれば必ず評価される日が来るはずだ。」と。
しかし1万字という基準を知ってからは、圧倒的に足りないことに驚きと落胆を隠せませんでした。
それと同時に希望も湧いていたのも確かです。
なぜなら、上位にインデックスされない決定的な理由が分かったからです。
上でも書いたように、文字の多さだけが検索結果の順位に関係するとは思いません。
しかし、自分のようなブログの初心者の記事が上位に表示されにく理由はなんでしょう?
ドメインパワー?年月?
いえ、違います。
文字数が少ないからです。
初心者はどうやっても、いきなり1万字は書けません。
そのことをGoogle の担当者は認識していますし、実際、文字数と内容の有益性は比例関係にあります。
労力と時間をかけて1万字も書こうとすると、適当な気持ちでは書けません。
自然と記事に深みが生まれます。
今自分が初めて1万字の記事を書いているので、内容に統一感がないことは自分でも分かります。
しかし一つの物事に対して、今までは出てこなかったような考え方が生まれてきて、またその深まった思考を元に別の記事を書くことも可能になります。
1万字書こうとすることで、逆に内容に有益性が追加されていくのだと思いました。
記事の有益性は誰が決める?
自分は20代のころインターネットやコンピューターがどんどん進歩して行っている時代に、全く関係のない仕事をして時間を費やしてきました。
今も決してそれが悪いことだとは思っていません。
もともと自分はコンピューター関係は大好きなので、いずれは、こっちの世界に戻ってくることはわかっていました。ただ社会の見聞を広めるために、自分に最も適しているもの以外の経験をした方が良いと思ったのです。
そして結局は文章を書くことだったり、パソコンを使った仕事でお金を稼いでいけたらいいなという気持ちが強くなってきました。
現在の検索エンジンは機械的な判断をするにはとても適しています。
しかし人間が書く文章だったり、それを求めるユーザーの気持ちというのは機械的に判断することはできません。
この文章は悲しい文章だとか、この文章を読んでいると楽しくなるとか、感動して涙を流すということは、どんなに演算の速いコンピューターでも不可能です。
そもそも、人間の脳とは仕組みがちがいます。
そういった判断は、実際に記事を読んでくれたユーザーにしかできません。
本当に良い記事であれば SNS で評価されて SNS からの流入も見込めでしょうが、最終的には検索エンジンからの流入が安定的になければ広告による収益をあげることは難しいと思います。
何度も言っていますが、キーワードの一致、キーワードがタイトルに含まれるか、記事内に適切にキーワードが配置されているか、記事の文字数は多いか少ないか、という判断は機械にもできます。
しかしその後、記事を読んだユーザーがどのような評価をするかは分かりません。
最初にインデックスされたときの検索順位は有益性の可能性を反映させているに過ぎないのです。
ここで言う可能性というのはユーザーがその記事を読んで有用と感じてくれるかどうかということです。
逆に滞在時間や直帰率というのは、実際にユーザーがサイトを訪れて同感してくれたのかという判断材料に過ぎません。もしかするとページを開いたままにして記事を読んでいない可能性もありますし、滞在時間は短かったけどもユーザーがその記事かな有益な情報を得られた可能性もあります。
本当にその記事がすごいとか誰かにとって有用だということなのはコンピューターでは判断できないでしょう。
その記事が万人にとって価値のあるものかどうかということも人間ですら言いきることはできません。
それぐらい文章というものも評価や判断をするのは難しいものなんです。
人によって評価が異なるという点では、どちらかといえば製品というよりは芸術作品に近いのかもしれません。
ピカソが書いた絵と幼稚園生が書いた絵。どちらがより優れているのかということはコンピューターでは判断できないでしょうし、ピカソという人物や絵のタッチを理解していない人間も判断できないでしょう。
予備知識があって初めてピカソの書いた絵の方が価値があると判断できるわけです。
しかし、その絵を書いた幼稚園生の親にとっては、ピカソの絵よりも価値を持つかもしれません。
そんなことは誰にも判断できないのです。
あくまで可能性の提示でしかないのです。
有益性は細分化していく
芸術作品がそうなのであれば文章もまた然りです。
誰がその価値を判断してくれるかはわかりません。
誰かにとっては何の価値もないゴミのような記事になることもあるでしょうし、誰かにとってはその中のたった1文が一生、頭から離れないものになる可能性もあるのです。
ただ検索エンジンはそんな中でも、より多くの人に価値を持たせるであろう記事を選定して表示する義務があります。
どんなに優れた記事でも一部の人にしか価値を生まないようなのであれば上位に表示することができません。 Google の検索エンジンの信用に関わるからです。
先ほど製品の話を出しましたが、製品は芸術作品とは相反する立場にあると思います。
製品はなるべく多くの人々に価値を持たせるようにする必要があります。
大量生産・大量消費の時代ではそれが正義です。
しかし、消費者はより高度な欲求を満たそうとして細かな願望を持つようになっていきます。
より自分に適したものより自分の生活に適したものより自分の好みに適したものを好むようになっているのです。
人間の気持ちが変わっていくことで誰もが持っているデザインや物では満足できなくなっていくのです。
そういった意味では製品はどんどんと芸術作品の在り様に近づいていくと言えます。
どんな時代においても、どんな業界においても、どんなものにおいても人間の気持ちというものはより欲求を満たそうとします。
それは人間がこれまで進化してきた過程においても同じです。
最初は欲求に対して不満があり、その不満を解消するために新しい何かを開発します。
その新しい物やサービスがだんだんと多くの人に広まっていき、ほとんどの人に行き渡ると、また別の欲求が生まれてきます。
それはより細やかな部分まで欲求を満たすものであったり、全く新しいものかもしれません。
今インターネットの世界もその過渡期にあると言えます。
誰もが手元に小型のコンピューターを持ち、いつでも大量の情報を得ることができます。
これはちょうどほとんどの人間にモノやサービスが行き渡った状態と言えます。
そこで生まれてくる人間の感情は二つです。
そのサービスの延長線上でより細やかな部分まで欲求を満たせるようなものに興味を持つか、それとも全く新しいのに彼に興味を抱くかの2つです。
現在はこれらのことが同時に進行していると言えるのかもしれません。
全く新しい体験を求めるユーザーは VR や AR を求めるかもしれませんし、今のインターネットや Web サービスに、より細やかな自分好みのものを要求してくるかもしれません。
これはどちらも正解だと言いますし、同時進行で起こってくると思います。
ユーザビリティと大人の事情
ちなみに今で8500字に届こうとしていますが、実際にここまで書き進めてくると正直1万字というものが少なく感じます。
ただこれを定期的に毎日書いていくとなると、相当な労力と時間を費やすことになるでしょう。
多くのユーザーに読んでもらえるようにする方法と、多くのユーザーに継続的に評価され読まれ続ける方法は異なります。
どちらだけに偏ってしまってもいけません。
これはどんなビジネスにおいても言えることで、 Google AdSense、 アフィリエイトにおいても例外ではありません。
特に今回自分が試してみようと思ったのは、とにかく文字数を増やして上位にインデックスさせる方法と、多くのユーザーに継続的に評価される方法は、同様の意味を持つように見えて実は相反する部分も持ち合わせていると気付いたからです。
ユーザビリティを考えれば、なるべく少ない文字数の中で要点だけを絞った方がいいに決まっています。
しかしそれでは滞在時間が短くなり直帰率が上がり、Google からのサイトの評価は下がってしまいます。
単純に滞在時間が短くなれば、ユーザーが広告を目にする機会も減るからです。
これはユーザビリティと Google からの評価の矛盾する部分です。
そもそもサイトに広告を表示するということ自体がユーザビリティにデメリットを生じさせているわけですから、上記のような矛盾点が起こっても不思議ではないのかもしれません。
正直ここまで意味のない文字の羅列を1万字以上書くことは、だれのメリットになるのでしょうか?答えは簡単です。そう、広告主です。
1万字近く書いてある記事を隅から隅まで呼んでくれるユーザーがほとんどいないでしょう。
しかしながら少なくとも下までスクロールをしてくれるかもしれません。その間に広告が何箇所か表示されれば、それだけでもユーザーの目に良い広告がうつる機会は増えます。
それはサブリミナル効果程度のものかもしれませんがゼロではありません。
むしろ無意識のうちに目にする広告の方がその効果は高くなるのかもしれません。
そう考えると、そもそも Google アドセンスやアフィリエイトというもの自体が、ユーザビリティと広告主のメリットという矛盾の上に成り立っているビジネスです。
テレビでも YouTube でも広告というものはユーザーにとって邪魔なものに他なりません。
ただその広告自体に魅力があったり、自分の興味がある分野のようであればその限りではありません。
なるべくそうなるように Google アドセンスは、クッキーを利用してユーザーの興味のある広告を表示してくれます。
それを自動的に行ってくれるということは、ブロガーやアフィリエイターにとっても大きなメリットです。
最後に・・・
もう少しで1万字を達成しそうになっていますが、実質、書いている時間は3時間から4時間程度でしょうか?
自分のようにタイピングが遅い人間にとっては音声入力が欠かせませんが、全部タイピングしていたら指にもかなりの疲労が蓄積していることでしょう。もちろん細かい部分を修正する場合にはタイピングを使用していますが、それほどの数ではありません。
音声入力とタイピング。皆さんはお好きな方を選択されて構わないと思います。
文章を書くことは旅にも似ています。自分の頭の中の思考を巡るような感覚で新しい発見があったりまた別の横道に気づいたりもします。
自分の頭の中のことは自分が一番よくわかっているようで、実は様々な情報が散乱していてまとまりがついていないことにも気がつきます。
今回とにかく1万字を書いてみましたが、自分の内にある思考を表現するということ自体、ストレスの解消にもつながります。
小さな子供たちが思いっきり自由に絵を書いてストレスを発散させるように、大人も自分の中にあるこんがらがった思考を解く作業ができるかもしれません。
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