IT革命つまり、情報革命が起こって、人類の生活に大変革をもたらしました。
でも、よく考えてみると、実際の物は何も生み出していないんじゃないかなぁと思っています。
たとえば、自動車のように物理的に人間を運ぶわけではないでしょ?
食べ物を生み出してくれるわけでもないし、病気を治してくれるわけでもない。
でも、確かに人類の生活において多大な貢献をしてくれました。
それって、どういうことなんでしょうか?
IT革命、情報革命、そのことをもう一度考え直してみることは、今後の人類がむかえるであろう様々な変化(革命)をいち早く察知し、先行者になるチャンスにつながるんじゃないのかなぁと思うんです。
勝手な解釈になると思いますが、つね日ごろ思っていることを書いていこうと思います。
文章 ⇒ 画像 ⇒ 動画 ⇒ ? 次は?
つまるところ、情報とは文字です。
はじめにホームページを作った日本人は、いったい何を書いたんでしょうね?
そして、不特定多数の人に何を伝えたかったんでしょうね?
ここに、色々書いてありました。
最初は、予想通りHTMLだけを利用した簡単なものでした。
タグも無かったろうし、日本語も使えなかったと思います。
この時点では、きっとほとんどの人はインターネットが革命を起こすなんて思ってなかったろうし、新たなビジネスを生み出すと思って取り組んでいた人はほんのわずかだったと思います。
最初のホームページが発信されたのが1992年9月30日だそうなので、2018年現在のかたちになるまで26年ほどかかっています。
結構、かかりましたね。
いや、早い方なのかな?
基準はよく分からないけど、ドンドン開発のペースは速くなっていくことでしょう。
いまでは、文字列だけでなく、高画質な画像や4kなどの動画までもがWEB上にあふれています。
情報伝達網の発展もいちじるしかったゆえですが、とにかく、ドンドン情報発信できる量が増えています。
文章、画像、動画、ときて、次に何を発信できるようになるのでしょうか?
ほかのもので考えてみると、例えば、テレビはどうでしょうか?
これは、はじめから動画を発信していたので、ある意味すごいことだと思います。
その前にはラジオがありました。
その前は、文字を物理的に運ぶ、手紙や新聞や御触れ書き(時代劇とかに出てくる立て看板みたいなやつ)などでした。
そう考えると、情報を誰かに発信するという行為は遠い昔からあったんですね。
人類の生活には必要不可欠なものだったんですね。きっと。
物理的な伝達
ここで、ひとつだけ仲間外れに注目してみます。
手紙や新聞です。
テレビやラジオは電波(かたちがないもの)を利用しています。
人が運ぶワケではありません。
でも、手紙や新聞は物理的に文字をかいた紙を、人間が運ばなければならないのです。
逆に言えば、電波は紙を運べません。
何が言いたいかというと、インターネットも究極まで突き詰めて開発したとしても、物理的にモノを運ぶことはできないんです。
Amazonで頼めば、届けてくれるって?
でも、WEB上で注文しても届けてくれるのはヒトです。
そのうち、ドローンが運んでくれるって?
そうかもしれません。
でも、どこまで言っても、インターネットは物質を発信することはできないんです。
これが、電波を利用している限界点です。
もし、次に情報革命と呼ばれるものがおきるときには、テレポーテーションが実現するときだと思います。
もう、情報ではないと言われればそれまでですが、突き詰めれば、物質も情報の集積物なワケで、量子レベルに分解して転送して(空間をとばすのか、コードの中を通すのかはわかりませんが・・・)再構築できれば、物という情報を転送したことになります。
現在でも、3Dプリンターを使えば、疑似的に物質の転送は可能になっています。
原理はこれでいけるので、あとは量子レベルでやればイイだけですね。
そう、SFで見たことある技術は実現するんです。
人間は何を求めている?
究極のところ、人間は何を求めているのかなぁと考えると、「経験」つまり、「体験」を求めているんだと思います。
五感で感じられることを求めているんだと思うんです。
たしかに、視覚から得られる情報が圧倒的に大きいんですが、残りの4感を補うことでその体験は現実に近づいてきます。
つまり、人間は疑似体験を求めているんです。
ゲームだって疑似体験だし、映画だって疑似体験。
ゲームの方が自分の意思でストーリー展開をコントロールできる分、より実体験に近いと思いますが・・・
本や、ドラマだって、マンガだって、疑似体験なんですね。
人が疑似体験にハマる理由はただ一つ。
現実に似ていて、自分が実際に体験するわけではないからです。
たしかに、良いこと(ひとによりけり)は実体験であった方がイイですが、悪いこと(悲しいこととか、痛いこと)は実体験になってしまったら、体がいくつあっても足りません。
疑似体験は、体験をある程度取捨選択できます。
良いことは共感すればいいし、悪いことは傍観すればいいからです。
映画のCGもどんどんリアルに近づいていますし、ゲームも先進的なものはリアルさを追求しています。
無意識の内に人間は、より現実に近い疑似体験を求めているんですねぇ~。
限りなく実体験に近い疑似体験。
これは、今までも、そして、これからも変わらない目標であり、人間の楽しみになるでしょう。
人間は楽しいことが、好きな生き物です。
そういう意味では、疑似体験は究極の楽しみであり、これからも間違いなく発展していきます。
VR,ARがそのカギになることは、間違いありませんね。
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