成功の法則 自分を知ること

成功の法則なんてどれも正解で、あとは自分が何を決めるかなんだと思う。

どうにもならない悔しい思いをして、どうにもならない感情を怒りを正しい方向に向けられるか。

それに尽きる。

環境のせいにするな。っていうけど、じゃあ、黙って我慢してればいつか変わるのかって?

そんなワケない。

まずは、自分の置かれた環境に不満があるなら、変えればいい。

お前が生まれたて来た環境は、ハズレだったんだと認めればいい。

容姿に恵まれなかったとか。頭が悪いとか。病気だとか。現実を受け入れて、客観的に自分を見て。

そのことをしっかり刻んで。

そこから、どうするか作戦を練ればいい。

 

本当はどうしたいの?

現況から逃げ出したいのなら、それが動機でイイ。

キレイごとなんかない。

理由なんかいらない。

嫌なら変える。

それだけの話。

本気で変えようと動かないのは、本当はそれほど不満が無いから。

生きていけるから。

少しづつ不満を吐きながら、ほどほどの気持ちで生きていく方が楽だから。

 

どれだけのことを習慣にしているのか?

「成功したい。成功したい。」と言っても、具体的に何かを積み重ねている人はどれだけいるだろうか?

雨の日も風の日も毎日変わることなく、一定の期間を自分を研鑽するために時間と労力を費やしている人はそんなにいないと思う。

まして、それが10年間続けることができたのならば、誰もが成功しているはずだ。

ほとんどの人は「成功したい。お金持ちになりたい。」と言いながら、ダラダラと何もせずに横たわって、成功するための本や誰かのブログをスマホで見ているのが関の山だ。

どんなに偉大な成功者の書物を何回見ようとも行動しなければ、何も起こらないし変わらない。

嘘か本当か、個人が書いた成功者のブログなどを何回も目を通したところで、それだけで満足してしまって、ほとんどの人は一歩も部屋から出ない。

成功者の本をアマゾンで注文して読むことはできても、自分の今日の日記をかける人はほとんどいない。

どんなにくだらないあなたの1日でも文章にはしない。 

インプットはもういい。

一行でもアウトプットしなければ、一円も稼げない。

「お金は二の次、自分の夢を実現したい。」という人は、かなり恵まれた環境に生まれ育ったボンボンか、平和主義者か博愛主義者、もしくは理想論者だ。

大学生が電気や水道を止められるのとはレベルがちがう。

大人、もしくは一家の大黒柱が、今月の売り上げ(収入)が足りなければ家族を路頭に迷わすことになるというリアルを言っている。

一般論として、そんな人間が家族を持つなという声もあるだろうが、家族を持ってからリストラされる、ボーナスをカットされるなんてことはザラだろう。

だいたい、文句を言う人間にほど共働きで奥さんの方が稼いでいたりする。

 

「俺は頑張って働いている。」というのは主観で、十分なお金を稼げていないのは現実である。

まず、そのことを真正面から受け止めなければ何も変わらない。

今はそれでいいのだから。

それでいいというのは、そのままでいいということではない。

むしろ、そうなってしまった自分に原因があることを認め、噛みしめ、悔しがり、後悔し、反省し、絶望した方がいい。

人間、ひとりひとり置かれた環境は異なる。

「その中でも自分はかなり悪い方にある。」ということを、受け入れなければいけない。

そして、心の底から悔しがり、絶望から抜け出すための戦略を編み出さなければならない。

具体的に何をするかは自分で考えるべきで、そこまで甘えるようじゃ、まだまだ抜け出すのは先の話になりそうだ。

何が今の自分に足りないのか分析して、本気で変えようとしなければ、あっという間に人生など過ぎ去って終わってしまうのだろう。

 

短期間だけ何かを頑張るわけではなくて、非常に長い期間自分を成長させるために勉強であったり、運動を続けていかなければならない。

少なくとも10年間、そして毎日。

そう考えると、そんなずっと続けなければならないことが嫌いなことであっては、絶対続くはずもないし、余計なストレスが溜まるだけだ。

苦手なことを克服するために10年間を費やすよりも、自分の得意なことを10年間研鑽した方がより結果が出せると思う。

自分は人前で発表したりスピーチするのは得意だったが、何人もの人間と同時にコミュニケーションを取る事は苦手だった。

球技のような複数人でやるスポーツは苦手だったし、複数人の感情を読み取りながらコミュニケーションをとることも苦手だった。

他人の感情を読み取ろうとしすぎて、相手に気を使いすぎてしまうからだ。

幼い頃、自分はそれを対人関係が苦手なんだと分析し、克服しようと思った。

いくら学校の勉強だけできても他人とコミュニケーションが取れなければ、将来仕事をしていく上で困ると思ったからだ。

自分はそういった考えのなかで美容師という道を選び、接客業の最たるものとして自分を変えて行こうと思った。

美容師という一つの職業を10年間続けた。

独立して自分で店を持ち、なんとか一家を支えていけるだけの収入を得る事を出来るようになった。

しかし、どんなに苦手な対人関係を克服しようとしても、根本の自分自身は変えることはできなかった。

なんとか、10年間美容師を続けることはできたが、それは、無理をしていたに過ぎなかった。

そう、10年かけてやっと気づいた大馬鹿野郎だったのだ。

 

むしろ無理をして仕事をしているので、それ以上なかなか業績は伸びないし、誰か人を雇ってコミュニケーションをとりながらお店を拡大していくということもできなかった。

こうして自分の不得意なことを克服しようとすることは、決して悪いことではないだろうが、成功するということに限って言えば全く非効率的なことだった。

人間は自分のことになると得意なことよりも苦手なこと不得意な事の方に目が行く。

苦手なこと克服した方が、周りと同じになれて安心感を得ることができるからだ。

得意なことを伸ばすということは、周囲から飛び抜けた存在になるということを意味する。

当然、一般的な平均値より秀でることになるので、周りと同じであろうとする人間には出る杭になってしまうので望まないことだろう。

 

長く続けることはとても大事なことだが、自分の失敗からくみ取っていただけるなら、「苦手なことは無理して続けても、平均値以下にしかならない。」ということだ。

20年間美容師を続けてきたが、やっと、そのことを受け止めることができた。

あるがままの自分を受け入れることができた。

ある意味、人生の目的を達成したと言っても過言ではない。

「自分を認め、許し、受け入れる。」ということは、とても素晴らしいことだと気付けただけでも、20年間無駄な努力をしてきたかいがあったと思う。

 

克服しようと頑張ってきたけどダメだった。

よし、これからは好きなこと、向いていることを頑張っていこうと、覚悟を決めることができたからだ。

 

齢40手前にして、生き方が定まりつつある。

遅いのか早いのか分からないが、自分について一つだけでも理解できたことは大きいと思う。

 

こんな生き方をしていたって、だれも認めてくれないし、家族、妻さえも認めてくれない。

むしろ、絶望されるだけだ。

 

だから、自分だけは自分を信じていないと潰れてしまう。

とても悲しいことだが、今はこれが現実だ。

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