お金はどうやって、手に入れるのか。
当然、仕事というのはその対価を貰うことを前提としている。
それは、現代においてはお金であることがほとんどなのだが、なかなか満足のいく賃金を手にすることはない。
そこには、運であったり、才能であったり、努力であったり、その他様々な要因が影響する。
ギャンブルなどは、仕事とは言い難いが、運が強く影響する。
一般的な仕事であれば、働いた時間によって貰える金額が決まってくる。
これは、努力によるところも大きいと思う。
何か突出した才能があれば、労働時間に関係なく莫大なお金を手にすることも珍しくない。
才能があれば、努力をしなくていいということではないが、やはり、有利であることには変わりないだろう。
そして、現代においては働いた時間、拘束されている時間に応じて賃金を得ている人たちが多くの割合を占めている。
それは、決して間違いではない。
むしろ、人によってはメリットの方が大きいかもしれない。
ほとんどの場合、こういった働き方は会社に勤務することで実現できる。
社会保険に加入していれば、万が一病気やケガをしたときに最低限の補償はしてもらえるし、ある程度仕事の出来不出来に関わらず、仕事を失うということも少ない。
個人的な失敗は余程大きなものでない限りぼやかせてしまう。
成功も会社や上司の手柄になってしまうことも多いが、失敗のカバーをしてもらえることも考えたら、それは当然のことかもしれない。
その事業の先行きに対する思慮や不安、責任も最高経営責任者が肩代わりしてくれる。
休みの日は、思う存分気を休められるのだ。
しかし、最近のニュースを見ていると過労で自殺をしてしまう人が少なくない気がする。
限られた空間の中で、終わることのないで在ろう仕事量を毎日、日付変更間際までこなすのは長くは続かない。
一日や二日程度なら無理もできようが、一年二年と続けていくと体も心も蝕まれていく。
確かに、会社に属する限りは与えられた仕事は完遂するべきだが、その加減が一番難しいのかもしれない。
上司からの評価は下げずに、できないものはできないと断る勇気。
要は、そこでバランスをとっていかなければいけないからだ。
自分の限界は、自分が一番分かっているようで、実は、体調や心のバイオリズムによって乱高下する。
少しの睡眠不足がパフォーマンスを著しく下げることはよく知られているが、現代社会において、夜更かしをせず、毎日規則正しい生活を送れている人間がどれほどいるだろうか。
おそらく、ほとんどの人が毎日睡眠不足に陥り、頭痛や肩こり、持病の悪化などに悩まされながら、仕事をしているのではないか。
前途した、企業に勤めるメリットの代償として、これらのことが釣り合うと思う人は何ら問題はない。
しかし、どんなメリットがあろうとも、死まで追いやられてしまう必要はあるのだろうか。
自分は少なくともそうは思わない。
ただ、我慢することが正解なのか?
耐えて、耐えて、僅かばかりの賃金のために死を選ぶことが正しいのか?
そこはしっかり頭を使って判断すべきだろう。
追い詰められて、正常な思考ができなくなってしまう前に、内に手を打っておくべきなのだ。
その『手』つまり、手段や方法とは何なのか?
まずは、仕事の定義に立ち戻ってみよう。
1 何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。
2 生計を立てる手段として従事する事柄。職業。
3 したこと。行動の結果。業績。
4 悪事をしたり、たくらんだりすること。しわざ。所業。
5 《「針仕事」の略》縫い物。裁縫。
言葉遊びになってしまうが、仕事で賃金を得て生計を立てる以外にも仕事という事柄には様々なものがあることに気付く。
中でも、悪事も仕事の意味に含まれることには驚きだ。
我々は勝手に仕事とは、社会の役に立ち、善意のもとに行われ、その結果賃金を得られると思っていたが、どうやら、仕事という意味に限っていえば、善か悪かは関係ないらしい。
大事なのは、成しえた事柄で生活をしていくことなのだ。
当然、必要悪であっても法に背けば罰せられる。
しかし、返して言えば、法に背かなければ、非人道的であっても、それは立派に仕事と言えてしまうのだ。
ここに、善と悪、社会貢献できているのか、いないのか、人道的なのか非人道的なのか、他人からの目、ご近所さんの目といった、仕事にとって足かせにしかならない事柄が現代の、特に日本人に誤解や混乱をもたらしている。
例えば、まだ自分の生活もままならず、生活していくのに十分なお金も得られていない人間が、人道的で社会貢献もでき、ご近所さんからも良く思われるようなビジネスを考えるとしよう。
同時にしていかなければいけない事のなんと多いことか。
長い目で見たときには、わずかばかりの効果はあろうが、ビジネスにおいて、人道的であるとか、ご近所さんからの評判などは、数値化出来ない上に、広告費の一部としか考えられず、費用対効果も低い。
もちろん、これに反対する意見も多くあろうが、まずは、自分が仕事を続けられるだけのお金を手に入れられることが当面の一番の目標なのだ。
余計なことは考えている暇はない。
自分の求める生活を成り立たせることができた人間から、社会貢献のために余ったお金を使っていけばいいのだ。
成功もしていない、お金のない中途半端な人間の施しなど、たかが知れている。
まずは、綺麗ごとを並べず、しかし法に触れず、多くのお金を稼ぎだすことを第一に考える。
それが、仕事というものなのだ。
仕事とは、それ以上でもそれ以下でもない。
仕事は、その人間の人格でもないし、人生の全てを掛けるほどのものでもない。
確かに、人生を時間というもので考えれば、かなりの時間を仕事に費やしていることになるが、そうは言っても、絶対に仕事=人生ではないことだけは頭において置かないといけない。
法に触れない程度の非人道的な方法で、お金を稼いでいる企業など山ほどある。
しかし、多くの雇用を生み、多くの税金を支払っていれば、国は何も言わない。
仕事とはそういうものなのだ。
タバコ産業など人間の健康を考えれば、無いに越したことは無いのに一向になくなる気配はない。
自動車だって、むやみやたらに一般人に売らなければ、一体どれだけの幼い命が救われただろう。
戦争の被害を拡大させ続けている武器産業は、国家事業として存在し、国境を越えて売買され、今日もその銃弾が罪のない人々を貫いていく。
宝くじは夢を売ると謳いながら、当選確率は非人道的なほど低いし、その確率を公には公開いていない。(知ったら、買わない人は間違いなく少なくなるだろう。)
競馬、競艇、競輪など、どうして、ギャンブルは違法なのに国家事業として運営しているのか。
しかし、これが我々が生きている世界なのだ。
善も悪も一緒くた。
悪行を行いながら、仕事という手段でお金を集め、再分配し全体のバランスを保っている。
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