過保護の定義

| 回転遊具


 
 今から20年ほど前になるだろうか。
 
まだまだ、公園には回転遊具を代表する数々のスリリングなアトラクションが、存在していた。
 
規定の遊び方をすれば、それほどの危険は伴わないものがほとんどである。
 
 
だけど、そこは子供のやること。
 
まして、20年以上前の子供の遊び方は想像以上に創造的である。
 
 
本気で、ブランコで一回転しようと思い、フルパワーでこぎ続けて、水平を超えたあたりで、落っこちてみたり、シーソーには土足で立ち上がり端から端へと往復してみたり、滑り台には階段を使わず、支柱からよじ登っていく。
 
 
もちろん、ケガをする子供は大勢いた。
 
 
幸い、自分の周りには、後遺症の残るようなケガをしたり、命を落とす子供はいなかった。
 
 
しかし、全国的に見たら消費者庁の発足以降の6年間で、1500件の事故の報告があり、うち4件は死亡事故であった。
 
 
当然、子供の命を数字だけで、判断すべきではない。
 
けれども、これだけの事故が起きていると、国や自治体も放っては置けない。
 
 
老朽化も原因の一つとして挙げられるが、以降、危険とされる遊具たちは公園や小学校から姿を消していった。
 
 
 

| 危険との距離


例外はあるだろうが、精神状態の正常な親なら、子供に重傷を負わせたり、死にいたるほどの危険な遊び方はさせない。

 

それが、川や山などの自然のなかであろうが、公園のような人工的な場所であろうが。

 

交通事故のことも考えれば、家の近くでも油断はできない。

 

他にも、誘拐などの犯罪に巻き込まれてしまわないようにする配慮も欠くことはできない。

 

たった30年余りの間に、社会の環境は変わってしまい、子供たちだけで日が暮れるまで遊ばせておくには、あまりにもリスクが高くなってしまったのだ。

 

しかし、いったいどの程度、子供を危険から守ってあげる必要があるのだろう。

 

具体的な例は多様にわたるため、国や、自治体、学校などが、細かく取り決めることなど不可能である。

 

その都度、問題があってから、対策を練り、保護者に通達をするのが、常習だ。

 

ところが、危険は日常にありあふれ、しかも突然にその牙をむける。

 

誰もが、被害に遭った時『どうして、うちの子が・・・。』と、まるで、自分の家族だけは特別であり、絶対とまでは言わないが、そうなる確率は限りなくゼロに近いと思い込んでいる。

 

これを書いている自分もそのように思っているし、常に不幸を想定して生きているのは、精神的にも相当な負担になる。

 

だから、普通の保護者は、特別なタイミングや状況のときだけ、危険に対する備えをするのであろう。

 

 

| 怪我の功名


『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』、『かわいい子には旅をさせろ』など、日本語の表現には子供に関するものも少なくない。

 

親が転ばぬ先の杖となり、子供を守る気持ちも分からなくもない。

 

子供同士のケンカに親が口をはさむことは珍しいことではない。

 

自分の子はイジメにあっているんじゃないか?

 

LINEで悪口を言われているんじゃないか?

 

もちろん、それが現実となり、自らの命を絶ってしまうなんてことは絶対に避けたい。

 

自殺にまで至らなくとも、我が子が虐められている事を知りながら、冷静でいられる親がどれだけいるだろうか。

 

もしかすると、今の日本において、一般的な家庭の常識で育てれば育てるほど、子供は困難への抵抗力を失っていくのかもしれない。

 

失敗や困難は進んで経験させ、そこからどう立ち上がるか、どんな教訓を得られたか、今度からはどう対処すればいいのか、本気で考えられるのは、直面している本人だけなのだ。

 

我が子が可愛くて仕方ない、できた良い親ほど貴重な機会を刈り取ってしまう。

 

道端に石があったら、きちんと転んで怪我をしておかないと、本人が気を付けることを怠ってしまうようになる。

 

ずっと、困難を避け、失敗をしないで生きていくと、失敗からの立ち直り方を知らないまま大人になり、最悪の場合、自分の失敗を認められない大人になる。

 

根拠の無い、邪魔なだけのプライドが変異し、自分の失敗の責任を他の所に転嫁するようになってしまう。

 

『俺の人生が上手くいかないのはこの社会のせいだ。』

 

『不景気だから給料が上がらない。』

 

『あの子が振り向いてくれない・・・。あのが憎い・・・。』

 

大人になってから、根本的な思考回路を矯正するのは容易なことではない。

 

だから、エスカレートした場合、犯罪をも犯す結果になってしまうのだ。

 

 

怪我は、しておいた方が良い。

 

 

| まとめ


普通の親なら子供に、怪我や辛い思いはさせたくないから、危険から遠ざける。

そう、普通の親(・・・・)なら。

 

どこかで、少し独自の価値観を持っていないと、現代社会では過保護に成らざるを得ない。

 

一見、危険そうに見える遊びも親はグッと我慢し、見守るしかないのだ。

 

落ちて、明らかに命を落とすほどの高さでなければ、多少の怪我に目をつぶらなくてはならない。

 

そして、なるべく痛い思いを経験するのであれば、早ければ早いほどリスクも低くなるし、効果も高くなる。

 

保護者は、ただ、何でもかんでも危険から子供を守るのではいけない。

 

難しいかもしれないが、危険の度合いや、種類を見極めて、本人だけではどうにもならなくなった時、初めて手を差し伸べるくらいで良いのかもしれない。

 

 

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