ゲド戦記。
宮崎 吾郎監督作品。
原作は、アーシュラ・K・ル=グウィン作の「ゲド戦記」シリーズ。
正直自分はこの映画が放映された当時、まったく興味を示しませんでした。
宮崎 駿監督の酷評を事前に知っていたので、先入観もありあまり見る気がしなかったのです。
はじめて地上波放送されたときも、ところどころ見て絵が宮崎 駿監督の物とベースが一緒だったことに違和感を覚え、見るのをやめてしまいました。
過剰に父親の目を意識している感じがして、なんだか父と子の内輪話を聞いているような、宮崎 吾郎監督の幼さが見えてしまったのです。
もちろん大の大人がアニメを真剣に見ているのに偉そうなことは言えませんが、どうしても「ゲド戦記」という作品の各所に宮崎 駿監督のソレが出てしまっている気がしたのです。
正直、過去の宮崎 駿監督の映画よりも雰囲気はないし、絵の書き込みも希薄な感じ、ストーリーも分かりにくくキャラも立っていませんでした。
もちろん、ジブリのスタッフが配色やアニメーションの作成を行っているので、クオリティは折り紙付きです。
ただ、それを差し引いても物足りなさを感じてしまったのです。
ここまで、父親の影を踏襲されてしまうと、宮崎 吾郎監督である必要はあったのかとさえ感じてしまいました。
「テルーの唄」は良い。でも・・・
そんな映画の中、「テルーの唄」単品で聞くと良いものでした。
「テルーの唄」は孤独な心を唄っています。
少なくとも人間は同じ思いを他人もしていると分かると安心するものです。
劇中では目からの情報が邪魔をしてしっかりを聞くことができませんでしたが、時間をおいて聞くとかなり、癒されるモノでした。
ただ、残念なことに歌詞に萩原朔太郎氏の「こころ」という詩の一部が着想に使われていたという事実でした。
この問題は、機会あるごとに表明していくことで結論付けられましたが、この詩を作詞したのも宮崎 吾郎監督だったのです。
この作詞を依頼したのは鈴木 敏夫プロデューサーで、戸惑う宮崎 吾郎監督に「こころ」の一文を暗唱して聞かせたのも鈴木 敏夫プロデューサーだったのです。
確かに、鈴木 敏夫プロデューサーの配慮も足りなかったのかもしれませんが、その暗唱された詩を現代語訳してそのまま使用した宮崎 吾郎監督にも疑問を抱いてしまいました。
でも改めて見てみるとそんな悪い映画じゃナイよね。
確かにつっこんだらキリがない映画ですが、原作は良いものですし、逆に原作を読んで世界観の設定を理解してから見た方が良かったのかもしれません。
ほんといい話ですよ。
少年の悩める心と成長を描いたすばらしい物語です。
そして、改めて宮崎 駿の偉大さを知りました。
原作読みてぇ。
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