どうもこんにちは。
最近一番良い SEO 対策は質の高いコンテンツを提供することだ、と言われていますが質の高いコンテンツとは何なのでしょうか?
もちろんユーザーにとって価値のある記事、内容なのですが、具体的にどういったものなのかなかなか把握しづらいところがあります。
皆さんの日頃の悩みについての内容などは、ほとんど大手の企業が掌握しています。
もちろん隙間を探せばまだまだネタになりそうなことはたくさんあるでしょうが、内容がマイナーになればなるほどアクセスが集まりません。
極端な足何か物事に対して新しい発明や発見でもしなければ、 記事にしたところでアクセスが集まらないでしょうし、価値のある情報として拡散もしてもらえません。
そうなってくると究極の話、何か新しい発明そうですね例えばタイムマシーンとかテレポーテーションできる機械などを発明してその作り方と使い方などを詳しく書けば世界中からアクセスが集まるでしょう。
しかし現実問題そうはいきません。
大体多くの人が生まれてこのかた同じように小学校で勉強しスポーツをしアルバイト欲しい大学英会話多少専攻の分野を勉強した程度でしょうそれも今まで先人たちは積み上げてきた知識を詰め込んだだけの情報です。
それをブログなどに書いたところで、すでにその情報はインターネット上に存在している理由です。
確かにそういった情報を検索しやすくしたり一般の人でもわかりやすいように言葉を噛み砕いて説明して成功しているサイトを数多くあります。
それもアクセスを集めるひとつのれっきとした方向です。
特別なスキルなんて普通ないでしょ!?
皆さんは今まで生きてきた中で、手に入れたスキルというものはありますか?
改めて考えてみると、小学校時代はみんな同じように勉強をし運動をしていましたね。
今現代社会を見てみると人と違うスキルを持っている人が重宝されます。
というか価値のある人材として評価されています。
もちろん勉強でも人よりも抜きん出ていれば、それは特別な才能スキルとして評価されます。
しかし、考えてみてください。
多くの人が同じ土俵の上で戦おうとしたら、当然勝ち負けが出てきます。
元々勉強が好きで得意な人は難なく一流大学に入り一流企業に勤めることが可能でしょう。
元々身体能力が高くて家庭環境に恵まれ、小さい頃からスポーツをやってきた人たちは当然勉強を主軸に置いて行ってきた人たちよりもスポーツで活躍できます。
おおよそ今の日本には勉強かスポーツか芸術、原因など限られた分野の中で競い合っています。
もちろんある程度の競争原理は必要なのでしょう。
一流の人に言わせれば極めると自分自身との戦いだと言いますが、一定のレベルにのし上がるのにはやはりライバルが必要です。
しかし考えて見てください。
今日本は人口が一億人以上います。
その中で何かひとよりも抜きん出た特別なスキルを持とうとしたら、ひとりひとりが幸せになるためには1億以上の異なるスキルが必要になります。
たとえ特別なスキルに対し、10人ずついたとしても1000万以上のスキルを発揮できるステージが必要になります。
これは社会をなくさせる上で可能なのでしょうか?
しかし国民全員が幸せになろうとすると 極端な話こういうことになります。
ほとんどの人はそれが出来なくて、過去のルーティンワークに甘んじているわけです。
もちろん今の社会を支えているものこそが、過去のルーティンワークの積み重ねなのですが、それが完成されつつあるために閉塞感も生まれてしまっているのです。
今の現状を壊さないように生活水準を下げないように、つまりは失敗をしないように生きていくことが美徳とされているのです。
子供の頃からそんな社会の教育の中で生きてきて、人とは違う特別なスキルなど持ち合わせているわけがありません。
しかもを特別なスキルというのは一朝一夕に身につくものではないです。
長い間、それも1日の活動時間のほとんどをそのことに費やし積み上げてきたものが、人とは違うスキルとなって身につくのです。
大人になってから、自分だけの特別なスキルを何か思い出してみると、おそらくほとんどの人が自分唯一の特別な価値あるスキルなど持っていないのではないでしょうか?
しかしユーザーに価値のある質の高いコンテンツというのは、おおよそこれに近いことを求められているのです。
つまりいきなりユーザーに価値のある質の高いコンテンツ、しかもネット上に類似した情報がない唯一のコンテンツを作ろうとしたらほとんどの人は書くことができないのではないでしょうか。
では何も書くことができないじゃないですか!?
そうなってくるとほとんどの場合、キュレーションサイトのような専門家の情報を一般人にもわかりやすいようにまとめたサイトなどが出てくるわけです。
しかしキュレーションサイトの存在を Googleさんはあまりよく思っていません。
なぜかと言うと、ネット上に重複する情報が誕生してしまうわけですから、 ユーザーはどの情報を見たらいいのかわからなくなるし、むしろ求めている情報をどんどんと探しにくくしてしまいます。
検索エンジンの理想の形というのはユーザーが求める情報を検索するときになるべく簡単に最小のキーワードでその状況に取り付けることです。
しかも短時間で。
ユーザビリティが高いというのはそういうことなのではないでしょうか。
さらに Google さんは質の低いコンテンツを好みません。
文字数や内容の事などももちろん関係するのでしょうが、質の高いコンテンツというのはユーザーに対して不快感を持たせてしまってもいけません。
ユーザーに対して不快感を持たせるものというのは、当然広告主も嫌がります。
不適切な情報に対して企業イメージが下がってしまっては広告の意味がありません。
企業は自社のイメージを下げずにユーザーに対してアピールをしていきたい理由です。
つまり僕らがブログで Google Adsense を利用するということは、企業がイメージアップをしながらさらに自社の商品やサービスのアピールをするお手伝いをするということなのです。
では、一般的な人たちに何ができるのでしょうか?
まとめサイトもダメ、日記のようなブログもダメ・・・
つまりもう内容の薄い記事は、もうインターネット上にありふれてしまったのです。
例えば自分が本を出版しようとした時に、失敗してもいいと思って記事を書くでしょうか?
自費出版だったりしたらなおさらのこと、自分の持ちうる情報を最大限に本の中に詰め込んでいくでしょう。
つまり、絶対に売れて欲しいので出し惜しみをせず全てをさらけ出して全身全霊で内容を書いていくに違いありません。
高いコンテンツということは、それに近いレベルの情報をもしくはそれ以上の情報を求められているのです。
自分が本の筆者になったつもりで、しかもユーザーにとって有益な情報を盛り込んで行かなければいけないのです。
ちょっとした趣味程度の情報を書いたところで、情報過多と言われるこの時代に価値を認めてもらうのは至難の技です。
仮にその至難の技をクリアできたとしても、今度はそれを求めるユーザーが多く存在しなければなりません。
世の中にニーズがあり、なおかつ自分がそのニーズに応えることができた時に多くの人に価値を与えられます。
ニーズのない情報をいくら丁寧に書いたところでその記事に価値はありません。
理屈は一般的なビジネスと一緒でより多くの人に価値を与えることができた時に初めて自分も見返りを受けることができる。
これはあらゆるビジネスにおいて基本的な考え方となることです。
世の中に困っている人がいて、その人を自分が助けることができて初めて感謝されます。
困っていない人に自分の手助けを押し付けたところで感謝はしてもらえません。
求められたことに対して答えることで初めて感謝されるのです。
インターネット上の情報を与えることも同じことです。
助けを求めている人がいてその情報を自分が与えることができた時に、はじめてアクセスは増えていきます。
この世に絶対が存在しないように完璧な情報なども存在しません。
どんな大手企業がいち早くニュースを取り上げたとしても、世の中の人たちが求める全てのニーズに応えることは不可能です。
それでも大手企業は大まかな内容を、より多くの人に見てもらうことをビジネスとしています。
世の中のニーズに対して大手企業が提供できていない情報を、追加で提供することも一つの価値です。
ここで間違えて欲しくないのは、全く同じ情報ではなく堀りさげたプラスアルファの情報です。
そして、自分の考えと世の中のニーズが一致したときにはじめてアクセスが生まれます。
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