マーケティング

 

善意は仕事の根源であるべきだが、それだけでは、継続ができない


どうしても、自分がプレイヤーとして職人的な仕事をしていると、我というか、プライドというか、生き様なんて言う言葉の方が、日本人の耳には、響きが心地よくて、『お金儲けよりも、お客様の喜んでくれる顔が見たいのです。』なんて、理想論というより、偽善的な考えをもってしまいがちになる。

 

確かに、『 お客様が喜んでくれる = 総客数 』の方程式は成り立つかもしれないが、その裏には、料金があり、サービス内容があり、経営側からすれば、とにかく、利益が出ないことには、どんなに良い商売をしていても継続できなくなり、結果、喜んでくれるお客様は、以後、その商品ないし、サービスを享受できなくなってしまう。

 

ここで言いたいことは、お客様が喜んでくれることは、享受する商品やサービス内容によるのだが、そこにどれだけの価値を見出してくれるかが問題だ。

 

笑顔という曖昧な基準ではなく、いったい、いくらなら、この商品やサービスを買ってくれるのか、その上で、どれだけ、多くのお客様に支持してもらえるのかが、その仕事の成否を決める。

 

自分もそうであったが、お客様が来てくれないことが、商売をする上で一番の不安になる。

 

多くのお客様に価値を認めてもらいたくて、平均的な当たり障りのないキャッチコピーで万人受けする内容の広告をバラまく。

 

当然、広告費用は膨大な額になるが、万人受けして、より多くの人に来てもらわなければならないので、料金はライバルより低く設定せざるを得ない。

 

オープン当初の赤字は仕方ない。そう、思ってしまいがちだ。

 

資金力のあるオープン初期の段階では、あまり深く考えないが、じつは、大きな間違いに気付かなくてはならない。

 

ターゲティング


戦後の頃の日本のように物が無い時代は終わりを告げた。

終戦直後、当時は、みんなお金も必要だったろうが、何より物、特に食料が欲しかった。

多少、値段が高くても、今日を生きるために買わざるを得ない。

ところが資産家たちや政府が買い占めてしまうので、ドンドン値段は跳ね上がり、持たざる者は飢え死にする。

資産家や政治家たちは私腹を肥やすために、米や木炭、大豆といった、食料や、燃料を隠し持っていたのだ。

 

しかし、今の日本はどうだろう。

 

物は、あふれ返り、食料は、毎日、大量に廃棄される。

 

命に関わるほどの、必ず手に入れなくてはいけないものなど今の時代には存在しない。

 

私財を投げ売ってまで、手に入れなくてはならないものなど無いのである。

 

そんな時代に、お客様から、価値を認めてもらい、継続的に消費してもらうのは、簡単なことではない。

常に、新しい価値を提案していかなくてはならないし、価格やコストの問題もある。

 

でも、一番考えなくてはいけないのは、万人に受け入れられることではなく、どのような人達にその商品や、サービスを提供したいのかを明確にすることだ。

 

今や、全国民の要求するものは、食料や生活必需品といった画一的なものではなくなり、多岐にわたるのだ。

 

その多様性は年々、増加をしている。

 

中には、ノマドワーカーなどという人々も出現し、いわば、遊牧民族のようにIT機器を駆使して、場所を選ばず、フリーランサーとして自由に仕事をしながら、あまり、多くの物を所持しようとしない人々も出てきた。

 

そうかと思えば、他人には理解できないような物でも、大金をはたいてコレクションする人達も存在する。

 

生活そのもの、生き方そのものが、多岐にわたれば、当然、必要とする商品や、サービスも人それぞれになってくる。

 

もはや、万人受けする商品や、サービスなどあり得ないのだ。

 

ただ、幸いにも人口は増加している。

今後は減少していくそうだが、今現在だけを見れば、戦後7100万人だった日本の人口は、1億2800万人だそうだ。

 

2倍まではいかないが、単純に見ても、マーケットは広がっている。

 

 

翻訳アプリなどのIT開発が進めば、誰でも手軽に世界に向けての商品やサービスを提供できるようになる。

 

経営の規模にもよるが、かなり細かくターゲットを絞り込んだとしても、やっていけるだけのマーケットは十分にあるのだ。

 

大きな話になってしまったが、たとえ、地域密着型の商売であっても、今や、ターゲティング無しに成功は、あり得なくなって来つつあるのかもしれない。

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