馬鹿正直に生きていると、損をするかもしれない。
真っ当に生きようとしていては、今の世の中生きていけないのか。
他人を信じてしまうと、騙されてしまうのか。
多くの場合、そうなのかもしれない。
人間は、何かの犠牲の上に成り立っている。
生命とは、そういうものなのかもしれない。
弱者は、強者に食われるのが、自然界の道理。
人間も例外ではない。
しかし、幸か不幸か、人間は自分という個体以外を大切に思い、愛してしまう。
その愛した者たちが、危機に晒されれば、当然、振り払おうとする。
また、そうならないように危機の元凶を絶とうとするだろう。
その元凶が、また、人間であったとしても。
だから、争いが起きる。
お互いが、愛する者たちを守ろうとして・・・。
しかし、本当に、それだけでいいのだろうか。
幸いにも、今の日本は戦時下にはない。
大切な人たちを守るために、他の人間を傷つける必要はない。
ただ、戦争はなくとも、日々、同じ日本人同士で、傷つけあうことが増えてきた気がする。
赤の他人であったり、仕事上であったり、クラスメイトであったり、友人同士であったり・・・。
本末転倒だが、大切なはずの家族同士でさえも傷つけ合ってしまう。
いずれ、別れは必ず来る。
日々、忙殺されてしまうと忘れそうになるが、どんなに大切に思っていても人間生きていれば、必ず大切な人々との関係も死が分かつということだ。
その時になって、もっと優しくしてあげれば良かったとか、喧嘩なんかしなければよかったとか、幸せだったのだろうかとか、必ず思うだろう。
しかし、そのことを今、この瞬間に感じられている人間がどれほどいるだろうか。
人は大切な人たちであってもを、心から憎んでしまったり、感情的に怒ってしまったり、傷つけたりしてしまう。
本当に、愚かな行為だが、理性的に抑えられるなら、だれも苦労はしないし、争いなど存在しないだろう。
心に余裕が無いからなのか?
ストレスが多いからなのか?
現代社会が生き難いからなのか?
しかし、内的要因にしろ、外的要因にしろ、本当の原因は、各々の人間の心の弱さにあるのではなかろうか。
現代社会は、暴力のまかり通る時代ではない。
戦国時代のように、力で他者をねじ伏せられる時代ではなくなった。
ところが、その半面、他者から何かを奪おうとしたり、支配したり、攻撃しようとするものは、頭を使い、巧妙な手口を練り、その行為に及ぶようになってしまったように思う。
暴力的解決を肯定しているわけでは無いが、結果、そのことで、命を奪う結果になれば、同じ罪ではないのだろうか?
心の弱さとは・・・?
なぜ、他者を傷付けてしまうのか?
答えは、簡単で、自分が傷付けられたくないからだろう。
だから、その相手が、他人であっても、家族であっても関係ないのだ。
そして、弱い人間ほど、予防線を張るのが上手い。
もっと言えば、力のない人間が、自分を守るためには臆病な方が生き長らえるのだ。
太古より、その遺伝子は受け継がれてきた。
世代を重ねるごとに、臆病な人間が増えていく。
勇敢な遺伝子は早々に、自分以外のものを守るために命を落としてしまうからだろう。
そんな遺伝子を濃厚に持つ者。
今、書いている自分も決して、例外ではない。
むしろ、その部分が大きすぎて、反省しなくてはならないと思いながら書いている。
大切な人たちを、失いたくないという思いは本当だ。
そのためには、自分も早々に死んでしまっては意味がない。
守れなくなるからだ。
大切な人たちの命を救うためなら、死ぬこともためらいはしない。
そんな場面に未だかつて、出会ったことは無いが、そうありたいと願っている。
そう願っているにも関わらず、大切な人たちを一番傷つけてしまっているのは、自分自身なのではないかと思う。
特に、自分自身の弱さなのではないかと・・・。
大切だから、守りたい。
大切だから、幸せにしたい。
でもどこかで、分かってほしいという見返りが叶わないとき、愛は180度向きを変え、憎しみとなってしまうのかもしれない。
それは、無償の愛にはほど遠い。
臆病なことは悪いことではないのだろう。しかしながら、克服したい。
自分の心が、弱ければ弱いほど、自分の心が、臆病であれば、臆病であるほど、他者を傷つけてしまう。
きっかけは、赤の他人や、自分に攻撃してきたり、精神的に追い込んでくる相手に対する防衛手段としての対抗攻撃であったとしても、相手を傷付けるということに変わりはない。
その感情や行動に支配されていくと、いずれは、大切な人たちへの思いも同じように変容していく。
往々にして、脆弱で臆病な心は、留まるところを知らずに拡大し続け、すべての感情はその一色に染まり、自分以外の人々に当てられてしまう。
すべての原因は、自分自身のこころにあるのだ。
方法はわからないけど、変わっていこう。
何十年も生きてきたにも関わらず、心は、臆病なままだ。
自分が傷付きたくないあまり、他者を傷付けてしまい、
自分が損をしたくないあまり、他者に損をさせてしまう。
生き方の根底に、深く根付いたその心は、もう、変えられないのかもしれない。
でも、変えなければ、大切な人たちを守ることなど到底できない。
当面は、何事が起きようとも、自分の心の在りかたに問い、他者のせいにして攻撃せず、自らの本当の意味での強さを磨いていこうと思う。
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