人生には突如として、予測もしないトラブルに見舞われることがある。
自分の詰めの甘さに対する怒りや、運の無さ、色々なことに絶望してしまう。
ただ、悩んでばかりもいられないので、とにかく前を向こうとする。
自分の周りにいる人たちへの申し訳なさもあるが、開き直るぐらいの気概で挑まなくては、災い転じて福となすなんてことには到底ならない。
ときに、人間は怒りの感情が大きな成長につながることもある。
昔、読んだ本にこんな言葉があった。
『居心地の良いぬるま湯から出て、冷たい風に吹かれよ。』
自分の歩んできた道を振り返ってみても、飛躍できたときの裏には必ず何かに対する怒りの感情があった。
ある一人の友達に勉強で馬鹿にされたから、死にもの狂いでそいつの点数を上回ろうと頑張って追い抜くぐらい勉強もした。
見た目や人間性を否定されたときにも外見を磨いたり、内面の成長ができるように本を読んだり、多くの人間と関わって自分を社交的にしようともした。
結果だけを見れば、そういった事柄は、自分自身を成長させてくれた。
そして、現在。
今までは、個人対する怒りの感情だったが、大人になるにつれて、その怒りの矛先はもっと大きな、形の無いものに向かっていく。
それは、国の在りかたや、社会、制度や不特定多数の人間だ。
もちろん、テロリズムだとか反社会勢力とか、そういうことを言っているのではない。
あくまで、自分がどう変われるかという話だ。
これは、目的が定かではなく、何を頑張ればいいのか分からない分、相当難しい。
少し前は、詐欺まがいの通信事業者に騙されそうになった。
かなり、悔しかったのでインターネットやパソコンに詳しくなろうと思い、勉強を始めた。
おかげで、ホームページが低コストで運営できることが分かったし、ブラインドタッチもできるようになった。
だからと言って、この程度では社会において、納得のいく結果が得られたのというともちろん否だ。
結論から言うと、社会に出て、仕事をし、家族をもって、守りたい人間ができると結果、自分の納得いく勝利というのは十分なお金を稼ぐことなのだ。
そして、これが自分にとって最大の難関でもあるのだ。
今までは、目標が明確であった分、多くの時間を費やすという大変さはあったが、達成できていた。
しかし、お金を稼ぐということはライバルも障害も多い。
尚且つ、お金を稼ぐ絶対的な方法論も無い。
今は、まさに暗中模索、五里霧中。
自分にあった稼ぎ方、才能なども全く見当がつかない。
こんな風に、アフィリエイトサイトで稼ごうともしているが、どうなるか分からない。
どうなるか分からないが、針の先ほどの希望に支えられながら、なんとか正気を保っている。
ひとつだけ、最近少し分かってきたことは、今までの成功例と違って、短時間では結果は出ないということだ。
運も大きく影響するだろうし、正しいことだけをしていても辿り着けないかもしれない。
死ぬまで達成できないかもしれない。
でも、年齢を重ねて衰えていく心の炎が最後の力を振り絞り、戦おうとしていることはお金を稼ぐということなのだ。
そう思わせてくれる、この成熟しきり、貧富の差が年々大きくなっている資本主義社会で、自己実現はできるのか、それともこのまま朽ち果ててしまうのか?
10~20代の頃のような、ガムシャラに頑張れるほどのエネルギーも無く、精神的にも弱くなりつつある30代において、どこまでやれるのか。
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